仏師「運慶」とは。仏像一覧と慶派仏師系図・運慶年表

カリスマ仏師・運慶の概要と仏像一覧、仏師の略系図、運慶関連の年表など、運慶を知るために

最終更新日:2017年9月29日

運慶とは

運慶は、鎌倉時代に活躍した仏師です。
仏師とは、仏像を彫る人の職業名です。
運慶は日本史上最も有名なカリスマ仏師と言っても過言ではありません。
現存する運慶の作品は、すべてが重要文化財か国宝に指定されています。
奈良仏師であった父・康慶の元に学び、およそ73歳で没するまで仏像を彫り続けました。
活動範囲は奈良だけではなく、京都や東国にも及んでいます。
平安末期に生まれ、時代が移り変わる激動の時代を生きました。
仏像の様式も、平安時代の穏やかなものから、武士好みの激しい動きのある写実的なものへと変化します。
鎌倉彫刻として、世界中にファンが多い仏像を生み出した芸術家でもあります。

運慶作の仏像一覧

運慶が作った仏像のうち、現存するものは31体あるといわれています。
※諸説あり

31体のうち、本当に運慶作なのかどうかの信憑性については、下記の通り。
・像内納入品や付属品により判明:17体
・同時代の資料から確認:1体
・X線写真や作風より:13体(確実に運慶作、とは言い切れない)

31体に追加して、興福寺南円堂の四天王立像4躯も運慶作として、35体とする説も有力です。

2017年東京国立博物館の「運慶展」では、31体のうち実に22体が出展されました。

運慶作の仏像一覧
運慶展出展指定躯数名称所蔵制作年
国宝 1 大日如来坐像 奈良・円成寺 1176
重文 1 仏頭 奈良・興福寺 1186
国宝 1 毘沙門天立像 静岡・願成就院 1186
重文 3 阿弥陀如来坐像および両脇侍立像 神奈川・浄楽寺 1189
重文 1 不動明王立像 神奈川・浄楽寺 1189
重文 1 毘沙門天立像 神奈川・浄楽寺 1189
重文 1 地蔵菩薩坐像 京都・六波羅蜜寺 12世紀
国宝 6 八大童子立像 和歌山・金剛峯寺 1197
国宝 2 無著菩薩立像・世親菩薩立像 奈良・興福寺 1212
重文 1 大威徳明王坐像 神奈川・光明院 1216
重文 1 聖観音菩薩立像 愛知・瀧山寺 1201
重文 1 大日如来坐像 東京・真如苑真澄寺 12~13世紀
重文 1 大日如来坐像 12~13世紀 12~13世紀
国宝 1 重源上人坐像 奈良・東大寺 13世紀
× 国宝 1 阿弥陀如来坐像 静岡・願成就院 1186
× 国宝 3 不動明王および二童子立像 静岡・願成就院 1186
× 重文 2 梵天立像および帝釈天立像 愛知・瀧山寺 1201
× 国宝 1 弥勒如来坐像 奈良・興福寺 1212
× 国宝 2 金剛力士像 奈良・東大寺 1203

これで31体
四天王像も足せば35体となります。

国宝 4 四天王立像 奈良・興福寺南円堂

運慶関連年表

運慶が活躍したのは鎌倉時代初期。
慶派は源平争乱により焼け落ちた南都の再建に尽力したほか、東国との関わりも強く武士好みの仏像をつくる。
平安時代の穏やかな仏像から、鎌倉時代のダイナミックな仏像へと変わる。

表内の「法橋」「法印」は、僧侶としての位階。

法印(従2位、最上位の僧、別名:法印大和尚位)
法眼(正3位)
法橋(正4位)

年齢運慶関連のできごと
1150頃 0 運慶、父康慶のもとに生まれる
この頃作られた仏像:阿弥陀三尊像(京都・三千院)、大日如来坐像(和歌山・金剛峯寺)
1151 現存する中で史上初の「玉眼」が使われる。阿弥陀如来および両脇侍坐像(奈良・長岳寺)
1173 23 運慶の長男・湛慶生まれる
1176 26 運慶・大日如来坐像(奈良・円成寺)完成
1177 27 父康慶、法橋の位を得る。
康慶作・地蔵菩薩坐像(静岡・瑞林寺)
1180 30 源頼朝・挙兵
平重衡・南都焼討
1181 31 平清盛、没する
重源・東大寺再興大勧進になる
1185 35 平氏滅亡
東大寺大仏の再興開眼
1186 36 この頃までに、運慶は康慶の元を離れ独り立ちする。
1186 36 運慶・毘沙門天立像(静岡・願成就院)
1189 39 運慶・阿弥陀如来坐像(神奈川・浄楽寺)、不動明王立像(神奈川・浄楽寺)、毘沙門天立像(神奈川・浄楽寺)
1189 39 康慶・不空羂索観音坐像、法相六祖坐像、四天王立像(奈良・興福寺南円堂)
1192 42 源頼朝、征夷大将軍に
1195 45 運慶、法橋の位を得る
1197 47 運慶・八大童子立像(和歌山・金剛峯寺)
1203 53 運慶・快慶・定覚・湛慶、東大寺南大門の金剛力士立像をつくる
運慶、法印の位を得る
快慶、法橋の位を得る
1212 62 運慶・無著菩薩立像・世親菩薩立像(奈良・興福寺)
1213 63 湛慶、法印の位を運慶より譲り受ける。
1216 66 運慶・ 大威徳明王坐像(神奈川・光明院)、現存する最後の作品
1221 71 承久の乱
1223 73 12月11日、運慶没する。
1227 息子湛慶が運慶の後任として東大寺大仏師職に
1254 湛慶・康円ら、1249年に焼失した蓮華王院(三十三間堂)の再建に尽力、湛慶は本尊の千手観音坐像をつくる。

※運慶の生年は定かではないので、表内の年齢は目安程度です。

運慶(慶派)の家系図

円派
円派は京都を中心に活躍した仏師集団。
鎌倉時代に入り、造仏の主流が奈良・東国へと移り衰退した。
円派の祖・長勢は、仏師で初めて「法印」位を得ており、広隆寺の十二神将立像は国宝に指定されている。

院派
院派は定朝の孫・院助が祖となった。
初期の院派は、定朝の様式を受け継ぐ定朝様が特徴で、院覚は法界寺の国宝・阿弥陀如来坐像でも有名。
慶派に比べて記銘をしなかったので、作品と作者が結びつくのはまれ。

慶派
慶派は江戸時代まで続く仏師集団で、平安末期から鎌倉時代にかけて、造仏の主流となる。
大仏師を多く輩出しており、運慶・快慶が特に有名。
運慶と快慶に血のつながりはない。

康慶:運慶の父。息子運慶、弟子の快慶を育てるなど、慶派の立役者となった奈良仏師。
自身も有名な仏像を多く残しており、興福寺南円堂の不空羂索観音坐像・法相六祖坐像は国宝に指定されている。

快慶:運慶とは兄弟弟子。熱心な阿弥陀信仰をもち、自ら安阿弥陀仏を名乗った。
運慶とは異なり、東国や有力寺社の像仏よりも、民衆が浄財を持ち寄ってつくる小さな阿弥陀仏を多く作った。
丁寧でセオリーに則った像仏が特徴で、運慶のような芸術家としての像仏活動はしていない。
東大寺南大門の金剛力士像に携わるまでは位階を授与されず、無冠のまま活躍した。
現在は運慶と並び称されるが、慶派の中で運慶は直系の頭領であるのに対し、快慶は慶派工房の有力な一技術者に過ぎない。

運慶の息子たち
運慶には仏師になった6人の息子がいる。

湛慶(たんけい):現存する仏像あり、慶派の頭領を運慶より継承、三十三間堂の復興造像をした大仏師として有名。
康運(こううん):現存する仏像なし
康弁(こうべん):現存する仏像あり、龍燈鬼(奈良・興福寺)
康勝(こうしょう):現存する仏像あり、空也上人立像(六波羅蜜寺)
運賀(うんが):現存する仏像なし
運助(うんじょ):現存する仏像なし


※記事のサムネイル画像は「『ホームギャラリー別巻 日本の仏像』美術出版社、1960年(保護期間満了)」

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