「シャセリオー展」の見所と基礎知識。豊富な作品画像でご紹介。

最終更新日:2017年8月16日


テオドール・シャセリオー『自画像』1835年

上野の国立西洋美術館で開催されている、フランス・ロマン主義の画家「テオドール・シャセリオー(1819-1856)」の作品展に行ってきました。
一般的にはマイナーな画家かと思いますが、ロマン主義から象徴主義へ移行する最後のロマン主義の画家です。
37歳で急逝しましたが、後生に大きな影響をのこしました。
日本でシャセリオーが本格的に紹介される始めての展覧会となります。

フランス・ロマン主義といえば、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』が有名です。
この作品の発表が1830年なので、シャセリオーは11歳。ちょうど、最初の師匠となる新古典主義のアングルに入門した年です。

ウジェーヌ・ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』1830年 ※「シャセリオー展」には未出品

ロマン主義とは

ロマン主義とは、政治思想や芸術思想の一類型。
ロマン主義の一般論を簡単に説明しようとすると、まずは啓蒙思想について理解する必要がある。
ロマン主義は啓蒙思想への反発として出てきたからだ。
啓蒙とは、「闇に光を照らす」というような意味がある。
啓蒙主義者はキリスト教をはじめとした神秘主義に支配されていた従来までの価値観を否定し、すべては説明が可能であるとした自然感をもった。
形而上学的なものや神秘主義・精神世界を否定あるいは軽視した物質主義といえばわかりやすい。
フランスをはじめとした当時の先進国に盛り上がった。
当時後進国であったドイツは啓蒙思想に対する反感が強く、ドイツを中心に盛り上がったのがロマン主義である。
たとえ多くのものが科学で説明できても、精神世界もまた重要であるというのが基本となる。

ロマン主義は、政治思想だけではなく音楽や絵画などの芸術領域にも大きな影響を与えた。

美術用語としての「ロマン主義(ロマン派)」は、「新古典主義」への反発して理解されている。
新古典主義は名前のとおり、古代ギリシャやルネサンスなどの古典に学び、規範を尊び写実的な作風として表現された。
第一人者のひとりが、シャセリオーの最初の師匠アングルである。

美術としてのロマン主義は新古典主義の対局にあり、規範を打ち破り自由な表現を追求した。
このため、「ロマン主義」といいっても様式的な共通点がみられないこともある。

ドイツロマン派の画家「カスパー・ダーヴィド・フリードリヒ」の作品は、一見なんてことはない自然画のように見えるが、よく見るとその中画家の精神世界がみえてくる。
私はこれまで、ドイツの「フリードリヒ」、イギリスの「ターナー」を代表とする独英のロマン主義は、ある程度の共通点がみられる。
対して、フランスロマン主義の「ドラクロワ」は独英とは共通点がみられない。
シャセリオーはドラクロワに影響を受けており、作風には共通点がみられる。

活躍時期としては、英ターナーが19世紀初頭、独フリードリヒと仏ドラクロワはその一世代後に活躍、シャセリオーはドラクロワが活躍しているころに幼少期を過ごした。

シャセリオー 初入選からアングルとの決別まで(1835-1840年)

若くして才能を発揮したシャセリオーは、16歳でサロンに初入選します。
このとき出品された作品がこちら。
上の『自画像』もこのころの作品です。


テオドール・シャセリオー『プロスベール・マリヤの肖像』1835年


テオドール・シャセリオー『放蕩息子の帰還』1836年
『放蕩息子の帰還』は、新約聖書ルカの福音書15章に登場する説話です。
真面目な兄と放蕩な弟。
放蕩息子は神に逆らった罪人であり、どんな者でも許し迎え入れる神の愛を語ったとされるキリストのたとえ話である。

パリで活動を続けるシャセリオーは、当時盛り上がっていたロマン主義に傾倒しはじめる。
1834年に師アングルはローマに旅立っており、

新古典主義の師アングルとは、1840年のイタリア旅行で再会したが、師と決別しロマン主義の道を進むことを決意する。

このころシャセリオーが所有していた絵画がこちら

テオドール・ルソー『小道に立つ羊飼い娘と犬』


ナルシス・ディアス・デ・ラ・ベーニャ『木陰に立つ若い女』

ルソーもディアスも「バルビゾンの七星」と呼ばれるバルビゾン派の主要人物。
ロマン主義から印象派への過渡期にあるバルビゾン派の影響をシャセリオーが強く受けていたことをうかがわせる。

このころのほかの作品

テオドール・シャセリオー『16世紀スペイン女性の肖像の模写』1834-50年頃


テオドール・シャセリオー『黒人男性像の習作』1837-38年


テオドール・シャセリオー『アクタイオンに驚くデイアナ』1840年


テオドール・シャセリオー『石碑にすがって泣く娘(思い出)』1840年

ロマン主義への傾倒

ロマン主義の画家として大成したシャセリオーは、1856年10月に急逝するまで活発に活動を続ける。
アルジェリア旅行で影響をうけアラブやユダヤの人物を多く描き、フランス会計院の装飾や協会の装飾壁画なども手がけ、多くの芸術家に影響を与えた。


テオドール・シャセリオー『アポロンとダフネ』1845年頃
この作品は、古代ローマ詩人オウィディウスの『変身物語』の一場面で、ニンフのダフネがアポロンの求愛を逃れるため月桂樹に姿を変えるところを描く。
1845年11月にオデオン劇場で開催された展覧会に出品され、高い評価を得て他の画家たちにも大きな影響を与えた。
そのうちのひとりが、シャセリオーの後継者ともされるギュスターヴ・モローである。


ギュターヴ・モロー『アポロンとダフネ』


ギュスターヴ・モロー『聖チェチリア』1885年


テオドール・シャセリオー『ヘロとレアンドロス(詩人とセイレーン)』1849-56年


テオドール・シャセリオー『サッフォー』1849年


テオドール・シャセリオー『ドラクロワの《怒れるメデア》にもとづく 模写』1845-50年


テオドール・シャセリオー『気絶したマゼッパを見つける コサックの娘』l851年


テオドール・シャセリオー『カバリュス嬢の肖像』1848年


テオドール・シャセリオー『エミール・ドサージュの肖像』1850年


テオドール・シャセリオー『アレクシ・ド・トクヴィル』1850年


テオドール・シャセリオー『泉のほとりで眠るニンフ』1850年


テオドール・シャセリオー『コンスタンテイーヌのユダヤ人女性』1846-56年


テオドール・シャセリオー『狩りに出発する ランシクール伯爵夫人の肖像』1854年


テオドール・シャセリオー『狩りに出発するオスカール・ ド・ランシクール伯爵の肖像』1854年


テオドール・シャセリオー『マクベスと3人の魔女』1855年


テオドール・シャセリオー『ファンタジア(騎馬試合)に出かける アラブの騎手』1847年


テオドール・シャセリオー『授乳するムーア人女性と老女』1850年


ウジェーヌ・ドラクロワ『馬を連れたシリアのアラブ人』1829年頃


テオドール・シャセリオー『雌馬を見せるアラブの商人』1853年


テオドール・シャセリオー『左を向く白馬(習作)』1853年


テオドール・シャセリオー『コンスタンテイーヌのユダヤ人街の情景』1851年


テオドール・シャセリオー『東方三博士の礼拝』1856年

おすすめポイント

芸術の中心地であるパリの19世紀の絵画を体験するまたとない機会です。
植民地であったカリブ海に生まれ、芸術の都パルで育ち、東方エキゾチムの香り漂うシャセリオーの作品群。
日本で始めて本格的に紹介される画家であることもあって、正直マイナーです。
逆に言えば、新たな発見をすることができる展覧会であるともいえます。
「ロマン主義」という正直よくわからない芸術ジャンルですが、新古典主義の師を持ちながらまったく正反対のロマン主義の画家として短い人生を駆け抜けた青年の作品を通して、その一端を垣間見ることができます。

19世紀パリの芸術家たちはどのように生きていたのか。
シャセリオー作品に中に潜むエキゾチズム。
そしてロマン主義。

そんなものが楽しめる展覧会でした。

展覧会概要

『シャセリオー展』
http://www.tbs.co.jp/chasseriau-ten/
国立西洋美術館
2月28日(火)〜5月28日

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